

中将姫ゆかりの「當麻寺」門前で営業しています
『釜めし 玉や』は、7世紀から続く歴史あるお寺「當麻寺(たいまでら)」 (※ 最寄りの駅名は「当麻寺駅」と書きます)の門前で営業しています。
當麻寺は、極楽浄土とこの世の境と考えられた「二上山(にじょうざん)」の麓に建ちます。歌舞伎や能の題材となった「中将姫(ちゅうじょうひめ)」が、蓮(はす)の糸を使って一夜で織り上げたと伝わる国宝「當麻曼荼羅」をご本尊とする珍しいお寺です。
中将姫の命日とされる4月14日に行われる「聖衆来迎練供養会式(しょうじゅうらいごう ねりくようえしき)」では、荘厳な儀式が繰り広げられ、たくさんの参拝客が訪れます(※すごいライブ感なので、ぜひ現地でご覧ください!)。
また、東西に2つ並んだ三重塔は、“創建当時のものが現存しているのは全国でもココだけ”という、とても貴重なもの。さらに、日本最古の梵鐘、日本で二番目に古い四天王像など、国宝8点を含むたくさんの文化財が伝わり、春には「ぼたん」、秋には「紅葉」の名所として、多くの参拝客で賑わいます。


登録有形文化財「釜めし 玉や」の歴史とは
中将姫信仰が広まった平安時代以降、當麻寺の参道にはたくさんの参拝客が行き交うようになり、門前町も発展しました。
「釜めし 玉や」の現在の建物が建てられたのは、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)のこと。ペリーが率いる「黒船」が浦賀にやって来て、日本中が大騒ぎとなったころでした。
当時は、旅人向けの宿屋(旅籠)「玉屋旅館」が営まれていましたが、昭和4年(1929)に大阪鉄道(現近鉄南大阪線)が乗り入れを開始したことから宿泊客は減少。昭和8年(1933)に廃業し、その後は住宅として使用されてきました。
そして、平成18年(2006)からは店舗として生まれ変わり、『釜めし 玉や』としての歴史が始まりました。
建物が建って160年以上。何度か大きな修復を行いながら、「釜めし 玉や」の建物は今も當麻寺・仁王門の前に建ち続けています。平成27年(2015)には国の「登録有形文化財」にも指定されています。

二階建て

布袋さま

鏝絵(こてえ)

トラ

玉の文字

宝珠(ほうじゅ)


提灯箱(ちょうちんばこ)

井戸

丸窓

蔵

鶴と家紋

釘隠し

欄間(らんま)


マンホール

注連縄(しめなわ)

大黒さま
