當麻寺を中心とした “当麻の里” は、歴史上の人物たちの悲劇的なエピソードも多く伝わる、ドラマチックな土地です。
その物語が何度も舞台化されてきた悲劇のヒロイン。陰謀により命を絶たれた皇子とその姉の悲しいストーリー。
日本初の天覧相撲に敗れて、あえなく命を失った勇者。
のどかな風景の中に、歴史のロマンが詰まっています。ぜひじっくりと散策してみてください。

中将姫の像
能や浄瑠璃でも演じられた悲劇のヒロイン「中将姫」
8世紀に生きた「中将姫(ちゅうじょうひめ)」は、名門・藤原家に生まれた、美貌と才能に恵まれた姫君でした。しかし、継母から憎まれ虐待を受けたことから、當麻寺へ入って尼さんになりました。
信心深い中将姫は、當麻寺でも仏行に励みました。そして、仏さまの力添えも得て、當麻寺のご本尊となる縦横ほぼ4メートルという大きな織物「當麻曼荼羅」を、蓮の糸を用いて一晩で織り上げたと伝わっています。
中将姫の物語は、平安時代から人々に知られるようになります。後に世阿弥の作の能楽「当麻」「雲雀山」、近松門左衛門の作の浄瑠璃「当麻中将姫」などでも演じられ、庶民から圧倒的な人気を誇りました。

當麻寺
中将姫ゆかりのお寺「當麻寺」
中将姫が織り上げたと伝わる「當麻曼荼羅」は、時代によっていくつか織られてきましたが、その原本(「根本曼荼羅」と呼ばれます)も現存しています。
しかし、調査したところ、伝説にあるような蓮の糸で織ったものではなく、絹糸などを用いた綴織であり、おそらく日本製ではなく大陸製であろうと考えられるとか。また、これだけ大きな織物を一晩で織り上げるなど不可能で(そりゃそうだ)、完成までに十数年(!)かかったと見られるそうです。
現在、本堂には、後の時代に転写されたバージョンの當麻曼荼羅(これも国の重要文化財です)が祀られています。大きくて迫力がありますので、ぜひご覧あれ!
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中将姫の墓塔
中将姫のお墓と伝わる石塔「中将姫の墓塔」
當麻寺の北側の共同墓地の中に、ひっそりと「中将姫の墓塔」があります。石材を十三段積み重ねた「十三重石塔」という形で、中将姫が亡くなった数百年後、中将姫の物語が庶民に広まった鎌倉時代末期に作られたものだとか。
実際にここに中将姫が葬られているかどうかはともかく、長年たくさんの人がここで手を合わせてきた聖地です。
「釜めし玉や」から徒歩約6分

染の井
中将姫が蓮の糸を染めた「石光寺」
「中将姫が境内にある井戸の水を汲み上げて蓮糸を浸すと、鮮やかな五色に染まった」 そんな言い伝えがある、中将姫ゆかりのお寺です。
その井戸は「染の井」、染めた糸をかけた桜の木は「糸掛桜」と呼ばれています。ぱっと見た感じは、普通の井戸と枯れた木ですが、渋い見た目に騙されてはいけません。きっと今もそんなパワーがある……かも!?
「釜めし玉や」から徒歩約13分
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二上山
山の向こうは死後の世界?「二上山」
雄岳(517m)と雌岳(474m)が寄り添うような姿が印象的な山「二上山(にじょうさん)」は、奈良県葛城市と大阪府太子町を隔てています。
大和盆地に暮らす人々は、西側に位置する二上山に沈む夕日を見ながら暮らしていました。いつからか「二上山の向こうに死後の世界がある」と考えられるようになり(大阪の人、ごめん!)、後の時代には「阿弥陀さんと菩薩さんたちが二上山の向こうからお迎えにやってきてくれる」という信仰が広まります。
つまり、二上山は “この世とあの世の境界線” と考えられてきたのです。
そんな神聖な山ではありますが、地元の小学生でも登れるような低い山で、ハイキングコースとしても人気があります。当麻寺駅からコースタイム1時間半~2時間半程度で登れますよ!

大津皇子のお墓
雄岳山頂付近にある「大津皇子」のお墓
二上山の雄岳山頂付近に、悲劇的な運命をたどった「大津皇子(おおつのみこ)」のお墓があります。天武天皇の息子という高貴な血筋で、文武両道に秀で、誰からも愛された人物でしたが、謀反の疑いをかけられ、わずか24歳の若さで自害に追い込まれてしまいました。
二上山に葬られた弟を想って、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ有名な歌があります。
「うつそみの 人なる我や 明日よりは
二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む」
万葉集 巻2-165
意味:現実の世の人である私は、明日からは弟の眠る二上山を弟だと思って、偲び見て過ごします。
この姉弟、母親を早くに亡くしたり、姉が巫女になって伊勢へ下ったり、その姉に弟が密かに会いに行ったり。萌えるエピソードの宝庫です。歴史好きな方はぜひ調べてみてください!
「釜めし玉や」から徒歩約1~2時間ほど
※標高は低いですが、あくまでも登山コースです。しっかり準備して登ってください。
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鳥谷口古墳
大津皇子の本当のお墓か?「鳥谷口古墳」
……とご紹介しておいてあれですが、現在 “本物の大津皇子の墓” と考えられているが、二上山の雌岳の麓にある「鳥谷口古墳(とりたにぐちこふん)」です。一辺が約7.6mの方墳で、鉄格子を挟んで墓石(横口式石槨)も見られます。
「謀反の罪で処罰された大津皇子が、山の頂上付近なんていい場所に埋葬されるのは不自然だ」という説もあるそうですし、悲劇の皇子のお墓としてはこちらの方が似合っているのかも、なんてことも思います。
「釜めし玉や」から徒歩約15分
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千股池
二上山を眺めるベストポジション「千股池」
二上山は大和盆地の広い範囲から美しい姿が見られますが、“最も美しく見えるベストポジション” としてお薦めしたいのが、「千股池(ちまたいけ)」からの眺めです。毎年のお彼岸のころ(春分の日と秋分の日の前後)、雄岳と雌岳の間に夕陽が落ちて、それはそれは美しい光景が見られるのです!
お迎えに来てもらって極楽浄土に旅立ちたくなる(?)ほどの絶景ですから、ぜひ時期を合わせてご覧あれ!
「釜めし玉や」から徒歩約25分
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玉やのある葛城市は「相撲発祥の地」なんです
玉やがある葛城市は、日本の国技 “相撲(すもう)” の発祥の地とされています。
その昔、この地域に住んでいた力自慢の「當麻蹶速(たいまのけはや)」が、出雲の国の「野見宿禰(のみのすくね)」と相まみえ、垂仁天皇7年(紀元前23年!)、初めて天皇の御前で対戦を行ったことが日本書紀に記されています。
とはいえ、この時代の相撲は今とはまったくルールが違い、殴っても蹴ってもOKという何でもありスタイルでした。勝負の行方は残酷で、「たちまちに宿禰が蹶速のあばら骨を蹴り折り、さらに、腰骨を踏み折って殺してしまった」のだとか。しかも、敗者・蹶速の領地は没収され、勝者・野見宿禰に与えられてしまいます。可愛そうな蹶速……。
残念ながら勝負に敗れてしまった地元出身力士の蹶速ですが、立派な石碑が建てられ、今も手厚く祀られています。

葛城市相撲館けはや座
土俵に上がれます!「葛城市相撲館けはや座」
當麻寺の参道沿いに建つ、全国的に珍しい相撲をテーマにした施設。中央には本物同様の土俵があります。本場所の土俵は女人禁制のため、女性は上がることができませんが、ここならOK。土俵からの眺めを味わってみてください!
「釜めし玉や」から徒歩約7分
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當麻蹶速塚
敗者・蹴速のお墓と伝わる「當麻蹶速塚」
日本初の天覧相撲をとった(そして負けてしまった)「當麻蹶速」の墓と伝わるもので、葛城市相撲館けはや座の前に建っています。
お参りすると筋肉ムキムキの力士になれそう……な気もしますが、こちらは平安時代末期~鎌倉時代に建てられたもので、どうやら当時のお役人さんのお墓らしいのだとか。残念!
「釜めし玉や」から徒歩約7分
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朗紀本舗 當麻どっこいまんじゅう
(あきほんぽ たいまどっこいまんじゅう)
和風スイートポテト「どっこいまんじゅう」
近鉄「当麻寺駅」すぐ(徒歩10秒!)にある、「朗紀本舗 當麻どっこいまんじゅう」さんの名物。“相撲”をコンセプトにした、和風スイートポテトの回転焼きで、季節ごとに厳選したこだわりのサツマイモを使用していることもあって、とても優しく、どこか懐かしいお味です。
プレーン・五福まめ・渋皮くり・クリームチーズの4種類に、季節のどっこいまんじゅうを合わせた計5種類ありますので、当麻寺駅へ降りたらまず1個購入して、散策のおやつにどうぞ!
「釜めし玉や」から徒歩約11分
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腰折田
死闘はここで行われました!「腰折田」
當麻蹶速と野見宿禰が初の天覧相撲をとった場所とされるのが「腰折田」です。読み方はそのまんま「こしおれだ」。ちょっと物騒な名前ですが、バイパス沿いの田んぼの脇にお相撲さんの像があって、ちょっとユーモラス。かつて決闘が行われた場所とは思えないほどのどかです。
「釜めし玉や」から徒歩約28分
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不思議な不思議な
一本足の建物「傘堂」

二上山の麓にひっそりと建つ、一辺約40cmの柱に瓦屋根が乗った不思議な建物「傘堂(かさどう)」。その姿は、まるで日本の妖怪「からかさ小僧(傘お化け)」のようです。じつはこれ、江戸時代のお奉行さまが、主君が亡くなった際に位牌を祀るために建てたものなのだとか!「そんなに大事なのに、何で壁を作らなかったん?」という疑問が湧いてきますが、きっと事情があったんでしょう(ご予算とか)。
「釜めし玉や」から徒歩約12分 詳しくはこちら
456段の石段が待ち受ける
「二上山ふるさと公園」

道の駅「ふたかみパーク當麻 當麻の家」に隣接した、緑豊かな公園。ピクニックを楽しむ親子連れも多いのどかな公園ですが、そこに突如として現れるのが、456段(!)という、結構なハードモードな石段です。ゼエゼエいいながら山頂にたどり着いて、下界を見晴らすと大和盆地を一望……とまではいきませんが、それなりに遠くまで見えますよ!
「釜めし玉や」から徒歩約12分 詳しくはこちら
日本最古の官道を歩こう!
「竹内街道」

推古天皇21年(613)に開通した、日本最古の官道です。当時の都の飛鳥と、海への玄関口だった難波を結ぶ街道で、葛城市・長尾神社のあたりから、二上山の南側の竹内峠を越えて、大阪府堺市まで約26km続いています。峠越えのため決して楽なルートではありませんが、街道沿いには大小の古墳が点在し、古代の人々の気分になって歩けるとか。健脚の方はチャレンジしてみてください。ちなみに、奈良県側には、歴史小説の大御所・司馬遼太郎さんが幼少期に過ごした母方のご実家が「綿弓塚の休憩所」として保存されていますので、ファンの方はぜひ!
「釜めし玉や」から徒歩約12分 詳しくはこちら
奈良県の伝統的な民家建築
「大和棟」

大和の国を中心に「大和棟(やまとむね)」という、独特な形式の民家が建てられてきました。奈良県でももう数は少なくなりましたが、当麻の里あたりではまだ見かけます。その特徴は、屋根の真ん中に少し高い「藁葺き屋根」(またはそれを上からトタンで覆ったもの)があり、その両サイドに勾配のゆるい「瓦葺き屋根」がある、というもの。別名を「高塀(たかへ)造り」といいます。なかなかレア物件ですから、散策しながら探してみてください!(※一般のご家庭なので内部の見学などはできません)

近年、お寺や神社でいただく「御朱印(ごしゅいん)」がブームとなっています。
御朱印をいただくことは、神さま・仏さまとのご縁を結ぶ行為です。朱色の印と黒い墨書のコントラストが美しく、参拝の記念ともなりますので、ぜひ専用の「御朱印帳」を用意していただいてみてください。
ここでは、當麻寺の各塔頭寺院でいただける御朱印を中心にご紹介します。
※當麻寺の塔頭「宗胤院(そいにん)」でいただける、
美しい墨彩画の御朱印(1,500円)も人気です。
こちらは必ず事前予約をしてから伺いましょう。